Blog/ 3年住んだ家を引っ越す。

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引っ越す1週間前に新しくオープンしたカフェの存在を知る。 この3年間ずっと近所に欲しかったサードプレイスになりそう。 いろんなタイミングが10月だったのかなと思う。 今の家は電車の音がうるさくて、もうずっと引っ越したかった。 でも引っ越すってなると、すこし寂しくなってくるものだね。 こういう経験とか、気持ちって大切にしたい。3年前の引っ越す前、引っ越したすぐ後に一気に記憶が蘇ってきて 複雑に悲しくなる。いや、単純に悲しいんだと思う。ドリルの爆音とか、近くの焼肉屋の換気扇直撃とか、コンクリで夏暑い冬寒いみたいなのとか、エアコンの外側から水が落ちてベランダ夏の間水びだしとか。(これはこれでメモしてあって、次の賃貸では活かす)けど、最後はひっくるめてエモーショナルになるものだね。 私は引っ越した経験とか少ないから、今回が初めて。 なんだかんだ3年一緒に歩んだこの家に感謝している。ありがとう。次住む人にここはやめとけっていいたい。そのサービスあればな・・

そう、引っ越しをする。 なぜ引っ越すのか、それは留学を確実に仕留めるため。 エッセンシャルに物事を考えると、やはり自分で家を維持することはリソースがとられる。 月に8万は飛んでいく。そのために仕事は一定の時間を使う。 自分の人質になってしまう、生活が。それはとても自由だし、私はこの3年間自分だけのために投資してきた。 家族と距離を置いて、自分の足で立ち上がること・・ 結果、個として独立ができた。それは簡単なことではなかった。 私は昔から感受性が強いと言われてきた。時に自分が透明だと思うことがあった。 それは学術的に述べると、環境と他者との境界が曖昧になって自分を認識できなくなるということだと考える。 それは作品をつくることにおいて、とても重要だった。いままではその感性だけに頼りすぎていた。 芸術だけなら良いが、他者が自分の意思決定に介入してくる&自分から線をひけないということは 人間の生活においてあまり健康な状態ではない。それは身を持って知った。

境界が曖昧なのは、SNSが発展しすぎたこともあると思う。脳がiPhoneとなって、常にストーリーで他人の行動や自慢を受け、自分と比較してナーバスになる

私は今SNSと距離を保っている。日常生活は充実し始めた。自分に集中できるってとても自由なのです。

環境や家族、SNSでの情報、友達から解放されると、自由になれる。

最初は自分に集中したことがないからいくらか戸惑う。しかし2週間、1ヶ月も経つと

自分の中でルーティンができ、毎分充実して過ごすことができる。

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